• HOME
  • どうして行政書士になろうと思ったのか

どうして行政書士になろうと思ったのか

shossy003 行政書士を目指した理由

 

 

グレー四角001行政書士の第一印象は、あまり良くなかった

 

私が行政書士という言葉を最初に聞いたのは、

もう20年近く前のことです。

その頃私は、司法書士事務所の補助者として、

子育てをしながら働いていました。

勤務先の事務所に時々訪ねてくる人の1人が、

行政書士の先生でした。

 

会社設立の書類を持ち込み、

登記手続きの依頼に訪れた行政書士のことを

司法書士の先生はこう言っていました。

 

「あの方1人では、会社が作れないのよ」

 

すぐにはピンと来ませんでしたが、

登記が出来ない行政書士のことを

少し見下した言い方にも聞こえました。

そのため、私の行政書士に対するイメージは、

あまり良いものではありませんでした。

 

司法書士事務所の補助者を3年で辞めた私は、

その後、娘の成長に合わせて仕事を変え、

娘が9歳の時に離婚をすると、

生活のために、正社員の仕事を探すことになりました。

 

すでに30代半ば。

その当時、

女性が35歳を過ぎたら

事務職なんてないと言われていました。

 

おそらくこの離婚を転機に、

私はこう思うようになりました。

「一般的に言われていることがすべてではない!

例外は必ずあるはず!!」

 

諦めずに事務職で契約社員となり、

採用の半年後には、

有り得ないと言われていた正社員になっていました。

 

 

グレー四角001離婚を機に手に入れたチャレンジ精神

 

大学4年生まで、私は教員になるつもりでした。

 

子供の頃から本が好きで、大学も文学部国文科。

いつか小説家になると信じていました。

 

ところが教育実習で教官の方針に疑問を持ち、

自分が今の教育システムには合わないと気づきます。

(宿題を忘れた生徒に

椅子の上で正座して授業を受けるよう強要するのです)

 

子供の頃からずっと教員になると決めていたため、

そこからの仕事選びはいい加減なものでした。

友達から不動産が良いと聞き、

会社説明会に行くうちに、

住宅メーカーに興味を持ちます。

結果、都内の住宅メーカーの営業事務として

数年勤務することになりました。

 

数年というのは、2年ちょっとです。

結婚を機に退職し、

その2年後には子供も生まれました。

 

仕事を再開したのは、

住宅ローンの足しになればという気持ちで、

野望も何もありませんでした。

 

子供が小学生の頃には、

休みが多いという理由で、

大学の中にある書店に勤務していたこともあります。

 

給料の額よりも、

子供と一緒にいる時間を優先していました。

 

ところが、娘が9歳で離婚をしたため、

そうも言っていられなくなりました。

フルタイムで仕事をしよう。

それならば、少しはやりがいのある仕事をしたい。

そんな考えから、

少しずつですが、仕事への情熱や、

チャレンジ精神が湧いて来たのです。

 

 

グレー四角001今までやって来なかったことをやってみる

 

30代後半で正社員になると、

そこからは仕事が面白くなり、

言われたこと以上の成果を出そうと

考えるようになりました。

 

そんな中、

40歳を目前に控え、決めたことがあります。

それは、

「今までやって来なかったことをやってみる」

ということです。

 

このままでいたら、

つまらない人生で終わってしまうのではないかという、

得体の知れない焦りがあったのです。

今までと違うことをすれば、

何かが変わるかもしれない!

40歳というのは、

そんなキッカケになる歳なのかもしれません。

 

40歳までやって来なかったことはたくさんあります。

40年というと長いように思えますが、

20代後半からは、それまでの行動の繰り返しが多く、

新しいことにチャレンジする機会は

なくなっていくものです。

 

大学を卒業後、就職をして早々に結婚し、

20代の後半は育児や再就職だけで精一杯、

毎日を無事に終えることが

使命であり、任務でもありました。

 

ふと思い付いたのは、

1人で海外に行ってみようというものでした。

 

深い意味はありません。

ただ、それまで旅行というものをしたことがなく、

自分に足りない経験と感じていました。

 

英語もほぼ分からない状態でしたが、

その状態で行ってみることが

チャレンジだと思いました。

 

たった2週間でしたが、

ホームステイをしながら現地の語学学校に通い、

色々な国から留学に来ている学生たちと

触れ合うことが出来ました。

 

日本人もたくさんいました。

英語で道を聞いたら、

日本語で返って来たこともありました。

日本語を話したいからと、

待ち伏せされたこともあります。

時間とお金を使って留学している人でさえ、

自分を変えるのは難しいようです。

 

海外の学校を体験して

一番難しいと感じたのは、

意外にも日本人を避けることだったのです。

 

この体験から、

どこにいても変われる人は変われるし、

変われない人は変われない、

場所は関係ないと気づきました。

 

今いる場所で小さなチャレンジを積み重ねれば、

それが変化に繋がるかもしれない。

やって来なかったことなんて、

いくらでもあるのですから。

 

まずは管理職を目指そうと、

ますます仕事に精を出すようになりました。

 

 

グレー四角001リストラの嵐の中で

 

会社の中で、私の評価は低くなかったのですが、

女性ということで、

まだまだ管理職になるのは難しい環境でした。

会社はかなり古い体質だったのです。

 

ところが、転機が訪れます。

会社が100%外資となり、

女性も管理職になれる環境となったのです。

もちろん、すぐには無理でしたが、

少しずつ女性の管理職が現れました。

 

外資化の流れで、管理職になるためには、

英語スキルが必須条件付となりました。

私はとりあえず条件をクリアするため、

英語の勉強を始めました。

これも、

私のやる気に火を付けるキッカケとなったのです。

 

外資化の波は、

女性管理職を作るだけではありませんでした。

数年おきに、

100名規模のリストラが実施されるようになります。

最初は定年退職者の再雇用が減らされたり、

55歳前後の早期退職の募集だったのですが、

 

リストラの対象は、

徐々に40代、30代にまで広がりました。

また、部署全体が対象になることもあり、

私が所属していた

サービス事業をいくつか抱えている事業所も、

その対象となったのです。

 

しかも、私が携わっていた派遣事業だけが

残ることになりました。

 

私と派遣社員の待遇はそのままに、

その他の事業に携わる200名の社員は、

すべてリストラ対象とされました。

対象社員はプレミア付きの退職金をもらうことになり、

対象ではない私が辞めることにしても、

その退職金はもらえません。

リストラというのは、対象者も対象外の社員も、

会社に対して嫌な気持ちを持つ

キッカケとなることを知りました。

 

いつ会社を辞めてもいい状態にしよう!

 

この時、独立を本気で考え始めました。

最初に調べたのは、会社のつくり方です。

女社長になってやろう!と思ったのです。

その時に目に飛び込んできたのが、

「行政書士」というワードでした。

会社をつくり運営するよりも、

会社をつくる「行政書士」の方がピンと来ました。

ちょうど11月、行政書士試験の1年前のことです。

私の誕生月でもありました。

 

仕事をしながらでも続けられそうな近くの学校を探し、

早速、行政書士試験に向けて勉強を開始した私は、

そこからは、お昼休みも1人会議室にこもり、勉強しました。

絶対に1年後の試験で合格すると決めていました。

 

こうして1年後の試験に合格するまで、

私はひたすら勉強の日々を過ごすことになったのです。