保証はないけど、夢のある未来に向かって
独立を真剣に意識したのは、
会社の外資化により、
数100名規模のリストラが実施され始めた頃でした。
40代の時は引き止められていた社員が、
50代にはリストラ対象となり、
あの時に辞めていればと、
悔やんでいる姿も見ました。
会社なんて、あてにはならないのです。
そうは言っても、
独立なんて簡単には出来ないと思っていましたから、
まずは社内で管理職を目指そうと思いました。
ちょうどその頃、
中途採用の女性が管理職になるなんて
あり得ないという風潮だった社内が、
外資化と共に、少しずつ変わっていたのです。
諦めずに成果を出せば、例外もあるかもしれない!
そんな前向きな考えで、私は積極的に業務に取り組み、
会社の外資化に合わせ英語を勉強し、
派遣スタッフ向けの教育やイベントも実施しました。
上に行きたいのであれば、
言われた以上のことをするのが当然です。
この実績は上からも評価されることになり、
退職前の2年間は、最高の評価をもらい続けました。
これは、管理職になるためにも必要なポイントでした。
実は、
最初に独立することになったのは、
ITエンジニアの1人でした。
勤めていたシステム部門が縮小され、
40名の希望退職者が募られたのです。
条件はかなり良く、
疲弊していたエンジニアにとって、魅力的な話でした。
まとまった退職金をもらい、新しい世界に進む。
これがエンジニアの選択でした。
ところが
このエンジニアが担当していたシステムは特殊なもので、
資格を含め、
彼無しで作業を進めるのは難しいと判断されました。
エンジニアは希望退職の1ヶ月後、
フリーランスとして同じ職場に戻っていました。
正社員の時とは違い、
プロジェクトの責任を取る立場ではなくなったことで、
彼は気持ちが軽くなったと言います。
一般的にはフリーランスの方が不安定ですが、
彼を見る限り、フリーランスの自由さは魅力的でした。
身近な独立を見た印象は、とても羨ましいものでした。
そこで私は、自分自身の独立にも興味を持ち、
会社を作るにはどうしたらいいのか、
会社設立手続きなどを調べ始め、
行政書士という資格に出会うことになります。
それは、
次の試験までちょうど1年という11月のことでした。
この資格で独立するのもいいなと考え、
そこから1年間、
今までしたことのない法律の勉強をすることになりました。
勉強すればするほど難しさに挫けそうになったため、
絶対に1年で合格する!と、私は決意しました。
そうしないと気持ちが続かないと感じたからです。
毎日毎日、すべての空き時間を試験勉強に充てた結果、
一度の受験で合格し、
行政書士の資格を手に入れたのです。
私が勤める人材派遣事業部が
関連会社に吸収されると知ったのは、
合格発表の2ヶ月後のことでした。
最初はこちらが吸収すると聞いていたのですが、
実際は、こちらは吸収される側でした。
有給休暇、諸手当、給与体系、社会保険など、
色々な条件が変わることを知ったのは、
もう少し先のことです。
勤続11年目にもらえるはずだった休暇を当てにして
予約していたハワイ旅行をキャンセルした時、
今が潮時なのじゃないかと感じました。
目指していた管理職には就けそうでしたが、
提示された年俸は思っていた程ではありませんでした。
社長は私をとても評価してくれていて、
中途採用の女性が管理職になるなんて、
会社50年の歴史の中で初めてだと言っていました。
ところが私は、あまり喜べなかったのです。
開業という夢を感じる世界に
気持ちはすでに向かっていたのかもしれません。
「会社にいても、年収800万が限界だ。
独立して年収1000万を目指そう!」
5月の連休明け、私は退職を申し出、
6月末に退職することになったのです。