突然の父の死

開業42週目 2014年6月15日~6月21日

 

人生には思いがけない出来事が起こります。

あんなに元気だった父が突然亡くなったのは、
6月の初めのことでした。

父は実家の廊下で倒れたまま亡くなり、
ショックを受けた母は、
現実を把握できなくなってしまい、
寝込んでいたようです。

6月15日の父の日に実家を尋ねることになっていた妹が、
出掛けにかけた電話の様子で異変に気づき、
救急車を呼んだことで父の遺体が発見されました。

人は生まれたら必ず亡くなりますが、
亡くなる時期や亡くなり方により、
家族の受け入れ方は大きく変わって来るものです。

祖父も曽祖父も100歳を超えて亡くなったこともあり、
私達家族は、父が70代で亡くなるなんて、
誰も想像していませんでした。

しかも、突然死だなんて。

母はその数年前から軽い認知症になり、
通院して薬も飲んでいましたが、
会話がそれほどおかしい様子もなかったのですが、
父が倒れた日から症状は悪化し、
父の葬儀も何も数分後には忘れている状態でした。

ただし、父が亡くなったことは、
しっかりと把握していました。
命日は父の日だった6月15日としました。

まさかこんな事になるとは誰も想像していなかったので、
父の葬儀や49日、納骨などを次々と進める中で、
私と妹、そして親戚の目は母の介護に向けられました。

父も頑固でしたが、母も相当な頑固者で、
施設への入所なんてまったく聞き耳を持ちませんし、
デイサービスに通うまでも1年近くかかりました。

その間、現金が数百万無くなったり、
詐欺を思わせる電話が何度もかかってきたり、
これまでどんな生活をしていたのだろうと、
初めて老々介護の怖さを知りました。

何より驚いたのは、
父の日記帳に書いてあった母の認知症が進む様子でした。

妹が毎月実家に行って、両親が元気だと聞いていましたし、
父からはたまに電話がかかってくることがあり、
冗談を言ったり、
特に問題に思えるようなところはありませんでした。

ところが父の日記帳には、母の認知症が進み、
つい怒鳴ってしまう自分への嫌悪と、
将来に対する不安が書き綴られていたのです。

しかも、
父の日記はその年の2月で終わっていました。

それまで毎日続いていた日記が、
2月で終わっているのを見て、
最初はノートを変えたのだと思いました。

どのノートに最近の様子が書いてあるんだろうと、
私は妹と父の日記帳を探しました。

でも、あとから気づいたのです。
父の日記は2月で終ったのでしょう。
それほど、
母の介護がきつくなっていたのだろうと想像されます。

亡くなる一ヶ月前の父は、
とても元気だったと妹は言っていました。
その日は親戚も数名集まって、
賑やかに食事をしたと言います。

どうしてその時に私も行かなかったのだろうと
悔やんでも、過ぎた日は戻ることはありません。

父の死を機に、私も妹も、
母の介護のために仕事をセーブすることを
考えた方がいいだろうかと話し合いましたが、
母の介護は出来るだけ専門家に任せ、
私たちはお金に困らないように
仕事をしようという結論になりました。

デイサービスやヘルパーさんをお願いしながら、
近所の人にも協力していただき、
週に一度ずつ実家に通う中距離介護という
形を取ることにした私たちは、
その後、それまで以上に忙しく働くことになります。

課題がなくなうことはありませんが、
自分たちや母にとって一番いい形を模索しつつ、
協力し合うことが、
きっと父にも喜んでもらえるやり方ではないかと思っています。

 

 

 

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